昭和五十四年十一月三十日 朝の御理解

 御理解第三十六節 「日本国中のあらゆる神を、みな信心すると言うが、それはあまりの信心じゃ。人に物を頼むにも、一人に任すと、その人が力を入れて世話をしてくれるが、多くの人に頼めば、相談に暮れて物事はかどらず。大工を雇うても、棟梁がなければならぬ。草木でも芯というたら一つじゃ。神信心もこの一心を出すと、すぐおかげが受けられる。」


 今、合楽の信奉者の方達が一心を立てなければ、また一心を出さなければならんというたら、皆さんどういう事だと思いますか。私は同じ一心を立てるというても、その一心の立てどころ、だと思うんです、ね。病気の人は、どうぞ病気が治りますように、金銭のお繰り合わせを頂かなければならん人は、どうぞ経済の上にも、一心を立ててお願いをする。けども信心というのは、それこそ魔可不思議なもんですよね。
 例えば、よりもっと本当のところへ一心を立てると、それもおかげになり、これもおかげになってくる、というのが信心の世界です。いうならばあの事やら、この事は頼みもせんのにおかげになってくる。も、総てが万事調うてくるという、ね。だから一番肝心な、一番そういう働きの起こってくるようなところに焦点を置かなければいけん、に一心を立てる。その一心は総ての点におかげになってくるという事でございますよね。
 昨日でしたか、御理解の中にございましたように、ある教会の御信者で合楽に大変帰依をもって、合楽の信心に、ま、帰依しょうとして一生懸命信心を進めておられる。もう永年の信心ですから、も、本当に真の信心真の信心という事が、これほど言われるけれども、その真の信心がわからない証拠に、真のおかげが受けられない。『真の信心とは、と。そしたらお夢の中に合楽とは頂かないけれども、感じが合楽という感じで「建設に奉賛する事が真の信心」と頂かれた、ね。
 思いがけない事であった。それは神の願いが成就する、ね。人が助かる事の為の信心。神の願いは人間氏子の助かりでありましょうが、その神様の願いが成就する事の為の一環として合楽建設、ね。その合楽建設の一部でありますところの、信徒会館建設、大坪家礼拝堂の建設、教職舎の建築、引き続いては合楽の奥城建立という事に繋がっております。
 これはね、合楽教会の願いじゃないのです。神様の願いなんです。だから合楽の信奉者が千名、今居るとするなら千名の者が一人も欠かさず、その合楽建設、ね。合楽建設、というのは広い大きいでしょう。世界中に広がって行くでしょう、ね。ハワイにも出来るでしょう。北米南米カナダあたりにも広がって行く事でしょう。そのいっかいとして、ま、合楽信徒会館の建立が、ね、思い立たれ、そしてそれが着々と成就致しております。』
 昨日も何回目でしたでしょうか、一億何千万かの支払いを致しました。大きいですからね。ところが神様の目から御覧になると大した事ないでしょうけれども、まあ私共としては、ま、大金です、ね。それがスムーズにお支払いが出来ていっておる事が有難い。神様の願いが着々と成就しておるわけです、ね。
 それは合楽の信奉者の皆さんの一心がそこに置かれておるからだ、と私は思います。ね。ここに皆さん一心を立てられたら、皆さんの他のね、病気を治して下さい。お金のお繰り合わせをお願いしますなんか、私は言わんでもすむ位のおかげが頂けると思うです。ところが、いかにもおかげ頂いたならおかげ頂こうという程度の事なら一心とは言えないと思うですね、私は。
 勿論それはおかげ頂くように願います、ね。だからそこに、いうならば真心の限りを尽くさしてもろうて、いうならば金銭の多い少ないじゃない、ね。それこそ身を削り心を削りしておかげを頂いていかなきゃならん。老夫婦の方が、この事にはもう一心、もう本当に、思いもかけないところから思いもかけないお繰り合わせを頂いて、まあ一生懸命その事に一心を立てておられる。
 昨日そこのおじいさんが、ここでお届けを致しますのに、昨日、私、御祈念を終わってから自分の居間の方へ大黒さんをお祭りしてありますから、大黒様へ一心におすがりさせて頂きよりましたら、後の方で拍手の音がする。そしたら何と、あの息子が御祈念しとるところでした、後ろから。そして札束をおじいさんに渡して、これを毎日一枚づつお供えして下さい、と、ね。
 いうならここの信徒会館建立の終わるまで、これを続けたいと思うから、これはひと月分です、と言うて札束を渡した、とこう言うのです。その事の御礼のお届けが、昨日ございましたが、ね。それこそ身を削り、ね。老夫婦の事ですから沢山なお金を持ってるはずありません。それこそ身をけずり心を削りして、それをいうなら金額をたいした事はないけれども、一心にその事のおかげを頂いておった。
 信心はあるというても、まだ若い者は、信心の薄い息子に言うたり嫁御に言うたりも出来んでおるところへ昨日、そういうおかげを頂いた、というお届けがございました。ね。本当に自分達が身を削り心を削りする事は、たいした事は出来んけれども、いうならそれに息子が奉賛しょう、という事になってきた。
 まあ本当に、それが御建設費としてお供えが出来る事が有難い、うれしい事ね、と言うて、ま、話した事でございました。はあ、も、身をけずり心を削りするなら出来んこつはないです。大きな願いばっかり言うたっちゃ、ね。所謂その身を削り心を削る、というような真が、そこに表わされない限り、そういうおかげにはつながってきません。
 昨日は、そういう、ある水商売をなさっている方です。沢山こう月末の請求書を毎月持ってお届けに見えます。御祈念をして頂いた時と頂かん時は、ころっと違う、すと昨日は、もう一冊持ってきてありました。それはもう三年以上そのひっかかって、もう取れないとばっかりを持って来てありました。
 それで、その方が言われる事にです。どうぞこれを今年は年末までに集金に行きますから、この間から集まりましたら、どうぞその半分だけは御建設にお供えしたいと思いますから、どうぞよろしくお願いします。私は、もうどうせ取れんと諦めとるとじゃけん、みいんなお供えするというならおかげ頂こうばってんなあ、と思いました。
 どういう事でしょうか、ね。みんなお供えしてしまうならお願いした甲斐がない、という。そげなそういう事では一心じゃないと思うですね。まだ信心も、その方若いですけども、なかなかおかげ頂いとるが、そういうお届けがあった。これもやっぱり水商売をしておる方からの御礼の電話でした。
 それは今、あのう水商売なさるところのうちにはカラオケがあるわけですね、歌。あれはお金を出さなきゃならんそうですね。それがあのう月々十万づつ位あがるんです。ね。それでこのカラオケだけは合楽の建設費としておかげ頂きたいと念願を立てた翌月から十五万になったという昨日、御礼のお届がございました。ね。カラオケの半分な、に、入ってきたお金は半分なお供えをするというのでなかでしょうが、ね。
 だからこれは、も、カラオケの、その入って来たお金は全部お供えをする、という気にならせて頂いたらね、先月と今月とは五万円もちごとった、とこう言うのです。本当にこちらが一心を立てれば神様が聞いて下さるという事がわかりました、という御礼のお届けでした。
 また今日は、明日の月次祭におかげを頂きたい。明日の万事お繰り合わせ頂きたいというお願いと一緒に一心を立てたら、こういうふうな働きが起こってきた、と言っておられます。問題は一心を立てる事です。その一心もです、ね。今、合楽で一心を立てなければならない焦点はどこか、というとそれこそ真の信心だ、と。真の信心とは神の心に入っていく、神の心に交流する信心を言うのだと思います。
 合楽建設が神の願いであるならば、その神の願いに奉賛する、というのですから成程真の信心だな、という事になります。それでもやはり一心を立てなければ、ね。本当のおかげになってこない、という事です。いやあたったこの位どん、という事じゃないです。それこそ先日から、ね。
 ある方の手紙にあったように、それこそ釘一本代でも、という思いで、貧者の一燈ですけれどもという手紙と共にお供えをなさった方がありますけれども、貧者の一燈、いうならば釘一本でも、それも只有り余っとるからではない、身を削り心をけずりさせて頂いてからの、私は奉賛であって、ね。
 その一心が立てられるところから、また思いもかけない働きが起こってくる、と思うのです。ね。一心を立てる、というても、ね。はあいっちょ病気も消してもらわんならん。経済のお繰り合わせも、あれもこれも一心を立ててお願いをすると言うても、その一心が、いうならば神様に、これなら絶対通う、交流する、というほどしのところに一心を立てて信心をなさるならば、それこそあれもこれもが成就してくるおかげになり、しかもそれは御徳になるような働きが頂けると思うです。
 今、合楽で一心を立てるというならば合楽建設以外にはない。それが合楽に今、千人の信奉者があるとするなら、その千人が一人もれなく、その願いを立てる、というところに、ね。それこそ打って一丸となる。いうならば勢信心の働きというものは、また大きく広がってくる事だろう、と思います。
 先日新聞を見せて頂いとったら、ある老人がある老人施設なんかに六億のお金を献金した、という記事が大きく出ておりました、ね。私は思うた。惜しいなあ、と思うた、ね。果たして老人施設にそれを献金した、という事がです。どれほどその人の、あーもうあの人のおかげ、と人間は言うかも知れませんけれども、神様は、天地は、それでは動きなさいません。
 昨日敬親会でしたから敬親会で、昨日、この前の前の月次祭のビデオで見せてもらいました。その中に天中殺という事が少しばかり出ておりましたから、その天中殺という事に、だいたい本当の意味はどういう事だろうか、と私が言っておりましたから、佐田先生が、それを少し勉強した。ところがその天中殺という事が、古い支那の一つの学問の中にあった、と。その中にこう書いてあったという事を、大事なところだけを書き抜きしてありましたから、それを昨日老人の方達にも聞いてもらったんですけれども。
 どんなにそこに運命、例えばこの前の福岡の伊藤さんではないですけれども、丁度去年、今年は自分が狂い死でもするような運命のもとにある、と言われておる伊藤さんが、丁度二年前から合楽建設に、もうそれこそもう本気で取り組まれた、と、ね。も、それには、も、本当にあれもせん、これもせん、身を削り心を削りしてから、女の身ながらもお役に立っておられる方です。
 そういう、したところが、ね。確かにはっきり過去の事を言うと十七か十八の時に親を亡くす、両親を亡くすという運命のもとにあったのが、きちっと合うておった。その後の事もずうっと何十年間、成程成程と思う事ばっかりであった。ところが去年と今年の、そのところを見ると、今言うように、ま、大変な事が起こって、それこそ、ま、ノイローゼのようなもんでしょうね。狂い死するような運命にある、という。
 その年から発願が、神様のお繰り合わせですねぇ。ね。そしてそれこそ成程二年の間に様々な問題もあったし、主人が生か死かというような大きな病気をなさったりしましたけれども、おかげを頂いて、今日おられて、も、この調子でいったら伊藤家はどんなに有難い事になってくるであろうか、という喜び一杯の生活が出来るようになった。
 その天中殺に、それが書いてああります。間違いのないところに、何と書いてあったかな。いうならばお供えをさして頂くという事から、運命がまた切り換えられる、という意味の事が書いてあるのを、昨日、ま、発表しておりましたが、今度のおかげの泉の中にも、それが出てまいります、ね。
 本当に天地の心に交流するほどしの、いうなら天地への本当の還元という事が出来るならばです、ね。そりゃ素晴らしい運命が、いうならば換えられるだけではなくて素晴らしい運命が開けてくる、というような事が書いてございます、ね。今、合楽で取り進められておるところの合楽建設は、もう天地金乃神様が、ね。いうならば率先しておかげを受けておるのが、今日の合楽建設です。
 それに奉賛する、というのですから、ね。間違いのない働きにもなって行こうと。そこで一心も様々ですけども、間違いのないところに一心を立つれば直ぐにおかげが頂ける、とおっしゃるほどしの一心を合楽建設にかけさせて頂いたら、どうであろうか。また合楽に千名の信者がおるなら千名が打って一丸となって、その事になってきたら、そこからまた大きな働きが起こってくるであろうと思います。どうぞ